住む世界が違いすぎるアメリカ人と付き合ったことがあるので語る。
スポンサーリンク
私は留学1年目は日本人と付き合ってました。そして別れて留学2年目はアメリカ人と付き合いました。前回のブログにも書いた通り、私は留学カウンセラーさんが言った通りの留学生の恋愛パターンを踏んできました。
引用はこちら。
突然ですが、留学カウンセラーさんがこう言っていたのを聞いた事があります。 「留学生は1年目は日本人と付き合って 2年目は田舎で育ったアメリカ人と付き合う。 3年目か4年目に都会のアメリカ人と付き合う。 その後は日本帰国→別れの報告をよく聞く」と。
留学2年目の英語力でアメリカ人と付き合い始めた時の話。 - 1970年代Style
その2年目に付き合った田舎出身のアメリカ人が、友達含めてアメリカの完全貧困層で生まれた凄まじい生い立ちだったので語ります。
彼の特徴
- トレイラーパークで生まれた
- ウォルマート以上の靴を買ってもらったことがない
- 旅行に行った事がないためリムジンバスに乗った事がない
- 正しい鉛筆の持ち方を教わった事がない
- 車が今にも壊れそう
- 何故か裸足でどこへでも行く
彼の家族
- 母は病気で他界
- 父は失業中
- 一番上の姉は自立するために軍隊に入った
- 真ん中の姉は19歳のときからシングルマザー
この真ん中のシングルマザーのお姉さんには空港に行く時に送ってもらったりもしました。2歳半の息子可愛かったなあ…。
「あなたは弟の今までの彼女の中で1番好き」
とべた褒めしてくれました。
空港に行く時はもちろん私はガソリン代を払うと言いました。
ガソリンスタンドに行くと、お姉さんが
「Ellie, are you gonna fill it?」
つまり、「満タンにしてくれる?」と言いました。
彼氏の姉、私は空港まで送ってもらってる身、彼女はシングルマザー、断らず満タンにしました。
そして、彼の友達もトレイラーパークで育った人たちでした。
彼の友達の家の様子
- 見た目はほったて小屋
- 駅の売店とコンビニの間ぐらいの広さ
- 近所もほったて小屋だらけのトレイラーパーク
- キッチンのシンクには洗われてない皿が大量
- ドアを開けたすぐ左にシングルベッドがあって友達のお母さんが寝ていた。
- 私たちが家に入るともちろん友達のお母さん起きる(当たり前だよね)
- お母さん、寝起きで切れて友達に怒鳴り始める(ほんとごめんなさい)
- 私たち固まる
こんな感じでした。
ていうか、玄関のドアのすぐ横にお母さんのシングルベッドってどんな配置。
ホントに、日本で育った私と世界が違う。
留学できて恵まれている方だった私とは文化も違う。
だけど私の心がオープンマインドすぎて当時はオッケー!でした。
いや、若かったんだよ!
トレイラーパークの友達の家に行ったらその友達のどっちかの親が怒鳴り始めるというのは正直よくあることでした。
当時の彼氏を通じて知り合った友達の話を聞いてると皆
「両親が最悪すぐにでも家を出たい」
ということを言っていたんですが、確かに酔っぱらって怒鳴ってるケースもあったのでなんで皆親の悪口を言いまくるのか納得しました。友達っていうか私がきてもパンツ一丁のままの人もいたし。当時の若かった私は違う文化をとりあえず見れたことでよしとしていました。
しかし当時の彼は今だから分かるトレイラーパークに住む人がよくする服装をいつもしていました。当時は何も分からなかったけど。住んでる町も、小さすぎてやることがなくて若い人はみんなドラッグに関与してました。
Townies(タウニーズ)と呼ばれていた人たちの1人だった彼。パーティでは盛り上げ役だったので大学の人たちからは好かれていましたがTownies自体は大学生から敬遠されていました。
彼は生まれ育った町の独占欲が高いというか誇りを持っているというか、「大学生は俺たちが生まれ育った町の大学に通ってるからその町にいるだけでこの町は俺等Towniesのものだ」と言っていました。
大した町じゃねえよって。
このブログを読んでる留学生のみなさんも色んな州に留学してると思いますが小さい町に留学した方、似たような人たちって見ましたか?
別れた理由
まあ、世界が違いすぎるので別れる運命だったと思うんですけどね笑
彼は私が行ってた大学がある町で育った人なので、その大学に地元の人間の権限で学費も割安で通っていました。
出会ったときは学校に行きながら仕事もしていたのに付き合ってから仕事クビになり学校もやめて、私の部屋で飼っている状態にいきなりなりました。
そのまま私にたかりそうだったので追い出しました笑
P.S. なんというか私が言った大学の街に住んでいた若者はみんなヒッピーくさかった。裸足上等だった。
Do something for your life.