華やかなアメリカ大学の留学時代にサヨナラを
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私にとっての留学は英語力のハンデを超えてから始まった。
どういう意味か?というと、英語への抵抗がなくなったからといって、アメリカ人とのコミュニケーションが円滑にいくわけではなかったからだ。
英語を話す人間たちと英語を使いどう繋がっていきたいか?
英語に慣れて聞けて、話せる状態になってもアメリカ人の友達の話が理解できないことがよくあった。
それもそうだ。彼らは今、私たちにとってのドラえもんやアンパンマンのような小さい頃に皆が見ていたアニメについて話しているのだ。わたしは彼らが話しているアニメを見て育っていない。話に加われるはずがない。
アメリカ人集団にいるとそういう些細な会話のネタから、皆にとっては当たり前でも自分だけ知らないなんてことがしょっちゅうある。
私は決して、英語ができないとアメリカ人と友人関係を築けないと断言しているわけではない。
だが私にとって、アメリカ人と本当のコミュニケーションが始まったのはある程度会話できるようになってからだった。
会話できるようになっても英語ができないから分からない会話ではなく文化の違いのために分からない会話というのにぶち当たる。
そんなときに私はどう彼らと距離を縮めるのか?そう考えたときから私の留学第二幕が始まった気がする。
英語を使って英語を話す人間たちと私はどう繋がっていきたいか?
英語を話せるようになってからもチャレンジは続くばかりだった。
だから私にとっての留学は言葉のハンデをある程度超えてから始まったと思うのだ。
そこからが面白いのだが、それまで長い長いスタートラインだった。
アメリカ人にとっての大学、私にとっての留学
私の留学をまとめると、大学留学時代はとても多くの人間と会話をしてきたと思う。
「大学時代が一番ソーシャルライフが充実していた」と卒業した今も言う。
私にとってもそうだ。
オン、オフキャンパスで常に同じ顔とつるみ常に周りに人がいる生活。
遊ぶ友達がいない週末をいくつも過ごした後に手に入った生活。
留学当初とか同じ映画100回観て英語勉強するかビリヤード延々と練習してたからね。遊ぶ友達いねえんだもんって笑
卒業してから、友達はだいたいが出身州に戻り自分たちの生活を切り開いていった。
ほとんどの留学生は自分の国に帰った。
私も数年は母国に帰ったものの、今は夫と初めて住む州で暮らしている。
前述したとおりアメリカ人友達は色んな州に散らばった。
引っ越した先でも会える距離に住んでいる友達がいるのはラッキーだった。
最近会った一緒に死ぬほどパーティした男友達は、「大学のときみたく飲んでられないしパーティにも行ってない。退屈な同じ日々の繰り返しさ」なんて言っていた。
アメリカ人にとっても大学時代というのは友達に常に囲まれた特別な時間なのだ。
私も留学時代が恋しい。友達のうるさいノックで起きる生活はもう来ないのだ。
だけどいつまでも大学生でいられないのと一緒、私たちは人生の次のステージに進んで行くしか無い。なぜかって、私たちがちゃんと大人になりたいからだ。
失業保険で暮らしている友達、レイオフされた友達、アイビーリーグを卒業したのに就職に困っている友達、ゴシップガールのような生活をNYで送っている友達、
みんな大学のときとは事情が違う。生活が違う。
私も結婚した。みんなが周りに居た留学生活と夫との結婚生活は違うけど、それでいい。私も確実に進んでいる。
この感情は、留学生活へのホームシックではない。ただ、ノスタルジアを楽しみたいだけだ。懐かしむぐらい良いだろう。留学時代は私にとってどうしてもキラキラした素敵な時間だったのだ。
喋ったことない言語で言ったこともないようなジョークを飛ばす新しい自分に出会わせてくれた。
そんな自分は悪くなかった。
それでいい。また好きになれる自分をここで見つけよう。
留学時代よさようなら。留学を選んだあの時と同じように、私は自分が選んだ生活を送る。それだけだ。